昔の話

思いつきだが、昔の話をしよう。

 

昔の私は、「冗談」というものがわからなかった。

 

人が言葉にする全てが本当のことで、本音だと思っていたから、

ちょっとした「冗談」でも、簡単に傷つき、すぐに泣いてしまう子だった。

 

今思えば、繊細と言えば聞こえは多少いいが、とても生きづらいものだった。

からかいもジョークも何も通用しない人間だったから、周りの人は扱いに困ったと思う。

私自身もそう思っていたのだから。

 

すぐ泣いてしまうのがとても嫌で、必死に涙を堪えていた。

泣いてしまえば周りを戸惑わせる、ということだけはわかっていたから。

 

もちろん、すぐにできるはずはない。

「どうして、こんなことを言われるんだろう?」

「何がそんなに面白いんだろう?」

「また私は変なことをしているのだろうか?」

全てが、そう、わからないことだらけだった。

幼い頃は特に、のんびりした頭だったせいで、人の話すスピードについていけないこともあり、「何を言ったか」ということを頭で処理するのに必死だった。

その上で、「冗談」という私にとってはとても高度な技を出されてしまっては、それはもう軽くパニックになっていたような気がする。

 

笑いどころがわからないどころか、冗談という類の会話が理解できなかったのだ。

だから、ただただ、ひどいことを言われた、傷つけるようなことを言ってはいけない、嘘をついてはいけない、とそういう情報だけが頭にあって、パニックになった。

もちろん今は全くそんなことはないけども、当時の状況を思い返すとそんな感じだ。

 

少し大きくなった頃も、あまり冗談が好きではなかった気がする。

小さい頃よりは、人との会話には慣れ、「これは冗談だな」という判断はつくようにはなっていた。

それでも、小馬鹿にする冗談は好きじゃなかった。

聞くのも、言われるのも、だ。自分は、そういうことは言わなかったはず。多分。

 

「なんでお前如きに馬鹿にされなくちゃいけないんだ?」という、怒りの感情の方が強く出ていた記憶がある。

違う方向で、扱いにくい存在だったかもしれない。

面白くもない話で、なぜこっちが気を使わなければならない?とも思っていた。

要するに、流すことができなかったのだ。

感情のコントロールができていない時代。器が特に小さい時代だ。

 

 

人との会話で、本当にヘラヘラできるようになったのは、もしかしたら成人してからかもしれない。それまでは、表面上はできていても、心の中ではきっと不機嫌だった。

適当に受け流し、適当な会話ができるようになり、自分もそれなりに冗談を言える。

ようやく、人様と同じくらいになれた気がする。

長くかかるなぁ。

全てにおいて、きっと不器用。

だから、人様の何倍もかかる。

まだまだ、できないことだらけ。

 

でも、メンタル面で言うと、昔より、だいぶマシになった。

まだまだ豆腐メンタルではあるけど、まぁなんとかなるレベルだ。

適当、って本当、楽になれる。