好きなことでお金をもらえるということ

とても最高な気分だ。

好きなことをして、お金をいただいている。

私にとって、これほど嬉しいことはない。

 

もちろん、無理はできないけれど、努力や勉強は必要だけど、

それでも、やっぱり好きだから続けるし、壁にぶち当たっても、どうしても乗り越えたくなるのだろう。

 

働けるって、すごいことなんだよな。

まして、自分がやりたいこと、できること、そういうのが人の役に立てるなんて、

もう、最高としか言えない。

 

自分を労わりながら、ほどほどに頑張りましょ。

ある意味「諦める」ということ

「周りの人はできることを自分はなぜできないのだろう」

ずっとそう思って生きてきた。

例えば、学生の時であれば、勉強だったりスポーツや音楽。

当時の私は、何をしても、苦手意識が強く、できないことだらけだった。

成人してからもそれはあまり変わらなくて、ついには、「週5日、8時間労働」ということもできない体だった。

それはあまりにも、ポンコツすぎて、自分でもどうしていいかわからないままだった。

 

実はつい最近まで、そうだったのだ。

何をしても、一応働かなくてはいけないので、いろんな仕事をしてみたが、どうにもこうにも体調を崩してしまう。貧血気味になったり、眩暈がして救急車で運ばれたこともある。ついには、そうなる自分が嫌で恥ずかしくて、どちらにしろ周りに迷惑かけてしまうなら、と辞めてしまう。

という繰り返しだった。繰り返しすぎて、もう本当に嫌になっていたし、自分ができることがわからなかった。

 

でもある時突然、「人と同じことできないならしょうがないか」と、諦めた。

ポンコツのままでもいいし、他の、自分のできる方法で生きていけばそれで充分じゃないか、と。

そう、吹っ切れたのだ。

絶対に多くの人と同じように生きなくても、生きていけるのだから。

そう思うと、とても気持ちが楽になった。

今まで、「またできなかったらどうしよう」とか

「また迷惑をかけるんだろうか」と思って、動けなくなっていた。

今は、探せばいくらでも、働く方法は見つかるのだ。

 

もちろん、そう思ってからも、いろんなことをやってみた。

自分に合う生き方は何か、テレワークならいいのか、業種を変えればいいのか、メルカリやAmazonもやってみた。Youtubeだってちらっとやってみた。

それでもダメだった。

結局、たどり着いたのは、昔からやりたいと思っていた、セラピストだ。

結局、原点にかえったのだ。

 

 

 

セラピストとして働き出して約7年経つ。

実はそのちゃんと働く前から、なんなら小学生の頃から、私は人の体を触ってマッサージをしていたし(もちろん知識は全くない)、心の中でそれで生きていく、と決まっていたのだ。

自己流のやり方だったけど、純粋に楽しくて、どんどんいろんな手技を編み出していった。

が、成人してから、ようやく、セラピストとなったはいいが、最初に入ったところは、教えられたマニュアル以外の手技は禁止とされていた。だから当然、自分の手技はできなかった。

どこぞの〇〇先生が考案したマニュアル。

当時の私は専門知識はないので、それに従ったし、それが正しいやり方なのか、と自分の編み出した手技を封印した。

働きながら、学校にも行き、知識も得た。自分の知らないことがたくさんある、ということも痛いほどわかった。

そのうち、会社の方針と自分の考えのずれが生じて、結局辞めてしまったが。

 

次に入ったところは、自分のやり方でOKなお店だった。

ただし、全て自分で構成も考える。本来のセラピストたちはそれは嬉しいことなんだが、私は混乱したままだった。

セラピストとしてのそれなりの年数は重ねてはいるが、自分の手技に自信が持てなかった。

自信がないまま、過ごしていた。

ついには体調が悪くなり、そこも辞めてしまった。

 

正直、そこまでくると、自分に絶望した。

え?やりたいはずのことまでできないのか?って。

自分が情けなくなったし、神を恨んだし、生きたくなくなった。

そんな日々を一年過ごしたのだ。もちろん何もできないまま。

その時は実家にいたので、何から何まで家族にお世話になりっぱなしだった。

本当に、生きているのが申し訳ないくらい惨めだった。

母はそんな私に責める言葉を何も言わなかった。

むしろ、「絶対大丈夫だから。焦らないで。あなたがあなたのまま生きていける方法が見つかるから」とずっと言ってくれていた。

私よりも、私のことを信じていてくれているのだ。

 

 

だから思いっきり、甘えることにした。

まずは、元の自分に戻ること。リラックスして、のびのびと能天気なのが私だ。それに戻ってから、動けばいい。そう、それもまた「諦め」なのだ。

焦ったってしょうがない。焦って、考えて、うまく行ったことがない私だから、諦めた。

言い方を変えれば、開き直りだ。

どうにかなるっしょ。という開き直り。

心を軽くしてから、動く。それが一番動きやすい。

 

 

そんな感じで、過ごして、ようやく働く気にもなってきて、とりあえず、短期というか、ド短期で何かないだろうか、と適当なことを考えていると、あった。

それがタイミーだ。

私は髪型もなかなかにいつも自由なので、厳しいところは最初から選ばない。

いい感じな軽作業があったので、そこでやってみると、まー面白い!

元々、単純作業が好きなのと、一人で黙々とやるのが好きなので、私にはとてもピッタリだった。そこで何度か、お世話になっている。今でも時々行っている。

気晴らしにちょうどいいのだ。

 

タイミーを何度かしているうちに、ふと、

「セラピストの派遣ってないのか?」と考えるようになって調べると、

派遣ではなく、出張という手があった。

なんで今まで気づかなかったんだろう。元々、出張でやりたいと思っていたくせに。

今は、なんでもマッチングという形で、もみほぐしもマッチングできるらしい。

というわけで、出張セラピストになるため、面談と手技チェックを受け、見事すんなり合格。セラピストとしてやっててよかったー!

 

「人と同じことができない自分」だから、「同じことをしようとすること」を「諦めた」。

そうした途端、なんやかんやとうまくいき出した。

不思議なもんで、諦められないということは、そこに執着してしまっていて、スムーズにことが進まなくなるらしい。

 

私の経験でしか語れないが、「諦めて」本来の自分の生き方をした方が楽にうまくいく。

なんでも叶えていけるようになる。

引き寄せの法則、なんて言葉、何度も聞いていたけど、こういうことかと納得できた。

 

そもそも、「本来の自分」に気づけないことには始まらないのかもしれない。

ポンコツな自分も、一生懸命に生きてる自分も、泣き虫だけど意地っ張りな自分も、めちゃくちゃ面倒くさい自分も、

全部全部、愛して、それでもいいよって。

他の誰か、じゃなく、自分で自分を愛してあげれば、こんなに心強いことはない。

何も怖く無くなる。

 

「諦める」ということは、「そのままの自分を認める」ということ。

 

働くということ

私にとって、働くということは、

とてもすごいことだ。

なぜなら、私はまともに働き続けることができないからだ。

理由は、正直わからない。

何をやっても、どの業種でも、どの時間帯でも、しばらくの期間働くと体調を崩して働けなくなる。

ずっとなぜかわからないままだけど、それがずっと変わらないなら、できるスタイルでやっていくしかない。

多くの人と同じようには働けないから、自分のペースで、やれる範囲でやっていけばいいだけだ。

 

今は、いろんな形で働けるから、すごく助かる。

最近はタイミーでお世話になっている。

入れそうな日に短時間だけど、それでお金をいただいている。

連日は未だしたことないし、未だ体力的にできそうにはないけど、それでもいいと思う。

それから、出張のセラピストとしても稼働し始めた。

そっちの方は予約次第だけど、一件一件、気持ちを込めて、対応していこう。

働けるということ自体、素晴らしく有難いことだから。

 

私は、私のできることをしていく。

時々ふと考えてしまう

「なんで生きてるんだろう」って。

 

そりゃ、死なないから生きてるんだけど。

頑張りたいけど、頑張りすぎると何もできないくらい具合が悪くなってしまう。

それが何度も何度もあったから、頑張り方がもうわからなくなってるんだ。

 

でも別に、これは暗い話ではなくて、冷静に考えているだけなんだ。

落ち込んでいるとか、そんなんじゃない。

結局、自分が、頑張ろうとも、頑張らなかろうとも、時間は過ぎていく。

 

頑張れない自分を、ポンコツな自分も、愛してあげること。

誰がなんと言っても、気にしなくていい。

とはいえ、気になる時だってあるのは事実。

それはそれで、「あ、また気にしてるな」ってまずは今の状況を把握して、受け止めること。この時に責めたりはしない。だってそうなっちゃったんだもん、しょうがないだろ?って。

 

焦ったって、すぐに変わらないから、大丈夫。

生きてればそれで充分よ。満点よ。

そういう言葉を誰かに求めない。自分で自分に言ってあげるんだ。

他の人に求めるから、ややこしいことになる。

求めているものと違ったり、相手の方が我慢できなくなったりしちゃうから。

だから、自分で処理する。

自分で慰める。

自分でご機嫌をとる。

それができるようになれば、もう最強よ。怖いものがあったって、大丈夫になる。

 

そうやって、落ち込んでしまっても、また元に戻せる。

今日もよく生きました。いい感じよ。

さみしいという感情

「さみしいから」で選んでしまうと大抵が間違えてしまう

その場のさみしさを紛らわすために選んだことが重荷になってしまう

 

そのさみしいすら、じっくり味わうんだ

そのさみしいとも仲良くなってみる

 

よく「孤独=さみしい」と思ってしまいがちだけど、この2つは別物だ

孤独は現状であって、感情ではない

だから孤独だからってさみしいわけではないんだ

 

今この時、さみしい、という感情があるけど

それも味わおう

人生はまだ続くんだ

思い込みが外れた時

自分には、「これしかない」っていう思い込みがあって、

それ以外なんて、あり得ないし、それがなくなってしまうと、私には何もなくなってしまう・・・と信じていた。

でも、そんなことはないし、「これがダメでも、まぁいっか!」と切り替えた時、

次のステージに上がれるんだとわかった。

心から吹っ切れたんだ。

そうと決まれば、あとは行動していくだけ。

簡単に死ねないから、ならば、好きに生きればいいやん。って自分で思えた。

あぁ、ここまでがなんと長かったことか。

いつまでもウジウジしていたなぁ。

もう飽きたで笑

 

好きにゆるっと生きよう。

思いもよらないけど、これでいい

自分が描いていた計画と、少し違う結果になったけど

きっとこれでよかったんだろう。

ずーっと未練たらたらでウジウジしてたものだったから、吹っ切れた。

 

さぁ、気持ちを切り替えて、次に進みましょう。